なぜ日本人は国際会議で影が薄いのでしょうか。
NYの国際会議にメンバーの一員として参加して痛感したことです。
もちろん言語の壁はありますが、もっと大きな理由があるように思えてなりません。
それはいったい何なのでしょうか…。
でも今回のブログでは、「日本人に足りないもの」にフォーカスしません。
代わりに、国や団体の代表として国際会議に参加する人々について、肌身で感じたことを書きたいと思います。
それを通して皆さんにも考えてもらいたいのです。
日本人にそれらが備わっているかどうかを。
人として魅力がある
国際会議は国や団体の代表なので、参加者は経験豊かなエグゼクティブクラスの人たちの集まりです。
当然、会議で扱われるトピックについて熟知しています。
しかしそれよりも私が感じ感心したのは、国や団体を背負う人々の人間的な魅力です。
アメリカや欧州の先進国でも、カリブ諸島の小さな国でも、同じです。
ユーモアがあり、懐が深い。
他の話に興味を持ち、リスペクトする。
常に周りを見て、言動に配慮する。
自分から声をかけ、握手を求める。
男性も女性も、とても素敵な人が多かったのです。
女性は反骨心がある
その会議では、女性が参加者の約4割を占めています。
国は、北米、南米、EU、北欧、アフリカ、オーストラリアなど様々です。
そしてなぜかみんなに共通しているのは、反骨心があることです。
正義感がある、と言えばいいでしょうか。
ともすれば国際会議は白人男性陣が議論の主導権を握ろうとします。
国際社会の縮図が国際会議にも現れるのです。
残念ながら、時には威圧的な言動で議論を打ち切ろうとする人もいます。
しかし国際会議に出席する女性たちはひるみません。
疑問があれば、手を挙げ、説明を求めます。
初めて参加する私が「この大舞台で発言することは難しい」とこぼすと、カリブ諸島のBarbedos 女性代表はきっぱり言いました。
“Nana, it’s simple! If you have a question, just raise your hands!”
自分は小さなカリブ諸島の代表として発言する責務があるのだ、と言うのです。
そんな彼女たちがとても頼もしくまぶしく見えました。
そしてそんな彼女たちに背中を押されるように、私も初めて国際会議で手を挙げてみました。
やってみればできるものです。
ゆるぎない芯がある
参加者それぞれに、世界観があるように感じました。
これがもしかすると、日本人にとって一番難しいところかもしれません。
彼らは世界の中で自分の国や団体の立ち位置を見定め、目指すべき方向が見えています。
そのために何をしなければならないのかを理解しています。
それを踏まえた発言や立ち居振る舞いをしているようです。
必要な時には、誰に何と思われようと、立ち上がり自身の立場を明確に主張します。
議論も厭いません。
それができるのは、ゆるぎない芯を持っているからなのです。
おわりに
国際会議のテーブルに座ってみて、初めて感じたことがたくさんありました。
日本人は「お金は出すけど影が薄い」というのは、残念ながら本当でした。
それを私たちが自覚し、じゃあどうしたいのかを議論することは大事なことです。
でももっと大事だと思うのは、さらに本質的なことです。
それは日本人として、というよりも、一人の人として魅力的であること。
そのために経験や教養を積み、たくさんの人と接し議論すること。
一人一人が変わることで、世の中はきっとよくなっていくと信じています。