久しぶりにTEDを視聴しました。
中でもとても心に残ったのが「How to do laundry when you are depressed」。
今の自分のモヤモヤと重なり、とても参考になったからです。
スピーカーのKCは、セラピストで自身がADHDだそうですが、彼女曰く
「care tasks are morally neutral」
(洗濯掃除等の家事に、正しいも正しくもないも、ない)
これを聞いて、私は無意識に自分で自分を縛り付けていたことに気が付きました。
疲れの正体
年末年始にかけて、私は猛烈に疲れていました。
仕事も一段落したし好きなことをする時間も増えたはずなのに、なぜなのだろう、と一年を振り返ってみると、自分が仕事に家事に育児に、全力投球であったことに気づきました。
そしてその疲れが、気が緩んだ年末年始にいっぺんに心身にきたのだとわかりました。
仕事をしていて気が付くと夕ご飯の時間になっている。
そこからスーパーに買い物に行って、帰ってからすぐご飯を作る。
作りながら、明日は誰が何時に起きてお弁当は誰がいるのかいらないのかを確認する。
お弁当箱を洗っていない、制服や洗濯物が散らかっていると注意する、誰がお風呂にどの順番で入るのか口論になる。
そうこうしている間に、明日は早朝からお弁当作りがあるからお風呂をあきらめ寝る時間がきてしまう。
夜寝る前に楽しみにしている読書をする余裕もなく疲れて寝てしまう。
こんなことを毎日のように繰り返していた気がします。
ちゃんとしなきゃの思い込み
つまり私は「ちゃんとしなきゃ」「ちゃんと食べなきゃ」「ちゃんと清潔にしなきゃ」と、「ちゃんと」「ちゃんと」の連続だったのです。
ちゃんとできないと反省したりイライラしたりする、そんな日々だったような気がします。
確かに、一年間たくさん頑張った自分は偉いけど、冷静に考えると「ちゃんとする」とはどういうことなのでしょう。
「ちゃんとする」とは、世の中の常識に自分の価値観を照らし合わせて、自分で勝手に作りあげた「良い悪い」の基準のことではないでしょうか。
「ちゃんと部屋を片付ける」
「ちゃんと子供においしいお弁当を作る」
「ちゃんと自分が飲み会でいなくても家族にご飯を作る」
これらができていると気持ちいいし、できていないと反省したり協力してくれない家族にイライラしたりします。
でもその感情はあくまで自分が作った基準に照らし合わせた結果の反応です。
私は自分で作った基準に縛り付けられ振り回されていたのです。
まずは認めること
これに対してスピーカーのKCは、家事は作業であり、それに良いも悪いも、正しいも正しくもない、と主張します。
さりとて、家が洗濯物やごみで散らかっていたら気持ちよくないし、毎日外食や冷凍食品では気が滅入りそうです。
では日々の生活をどう乗り切るか。
まずは「良い悪い」を決めているのは自分だ、と認めることから始めようと思います。
100回言っても脱いだ服を片付けない息子にイライラしそうになったときに、一呼吸置くようにします。
「ちゃんと片付けるべき」と決めているのは自分である、と思い出すようにしたいと思います。
片付けなくたって死ぬわけでもありません(いい気持ちはしないけど)。
するとふっと肩の力が抜けるのではないか、と期待するのです(まだ試していないのでわかりません)。
ということで、
My new year’s resolution:
No right or wrong for care tasks!
(家事に良いも悪いもない!)